雑記
日頃の想いとひそかな考察
Date:2026-08-09 09:56 Editer:snow

今日は、ながさき平和の日です。
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB29爆撃機ボックス・カーが原子爆弾ファットマンを投下し、長崎市松山町の500メートル上空で爆発しました。
広島に次いで史上2番目の原子爆弾で、当時の長崎市の推定人口24万人のうち約7万4千人の市民が死亡しました。
また、建物は約36%が全焼または全半壊しました。
2020年(令和2年)8月9日時点で、長崎で被爆して亡くなった人たちを記した原爆死没者名簿の登載者数は18万5982人となっています。
原爆投下から50年を迎えた1995年(平成7年)に、長崎市ではこの日8月9日を「ながさき平和の日」に制定したという情報もあるが、一般的にこの日は「長崎原爆の日」と呼ばれることが多いのです。
また、この日8月9日には長崎市松山町にある平和公園において「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(長崎平和祈念式典)が行われ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けています。
平和祈念式典では、原爆が炸裂した午前11時2分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が捧げられます。
その後、長崎市長による平和宣言、平和への誓いが行われるのです。
平和公園には、平和祈念像や平和の鐘、平和の泉、折鶴の塔、原爆落下中心碑、長崎原爆資料館、平和を象徴するモニュメントなどが配置されています。
平和祈念像は、被爆10周年の記念行事の一環として建設され、1955年(昭和30年)に完成しました。平和公園内の願いのゾーンに位置します。
長崎県南高来郡旧南有馬町(現:南島原市)生まれの彫刻家・北村西望(きたむら せいぼう、1884~1987年)の制作で、像は高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さ約30トン。
像のモデルは徳島県脇町出身で柔道・レスリングなどの指導者であり、陸軍大尉として従軍経験のある吉田廣一(よしだ ひろいち、1918~1967年)です。
何事も1番でなければ気が済まないという性格から「先頭」を意味する「せんとうはん」の愛称で親しまれています。
当時、世界で唯一、日本に原爆が投下されていました。
後々案外それは、様々な残酷な亡くなり方をした人々がいるということを知らないのではないかなと思われます。
また、生き残った人々も過酷な運命だったようです。
今は、原爆と言わず水爆と言われていたように思いますが、そんなものを人々の上空から投下するなんてもってのほかです。
非核化も日本で訴えています。
「Nomore Hiroshima.」と毎年訴えています。
他の国の人々にも、広島の二の舞にはなって欲しくないからです。
そう言った爆弾が、どんなに人の人生を不幸にしてしまうか。
皆さんには、今日は5分でもいいですから、そんな事を考えてみませんか?
それでは。
今日のひとこと:2026-08-09 -ながさき平和の日-

今日は、ながさき平和の日です。
1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB29爆撃機ボックス・カーが原子爆弾ファットマンを投下し、長崎市松山町の500メートル上空で爆発しました。
広島に次いで史上2番目の原子爆弾で、当時の長崎市の推定人口24万人のうち約7万4千人の市民が死亡しました。
また、建物は約36%が全焼または全半壊しました。
2020年(令和2年)8月9日時点で、長崎で被爆して亡くなった人たちを記した原爆死没者名簿の登載者数は18万5982人となっています。
原爆投下から50年を迎えた1995年(平成7年)に、長崎市ではこの日8月9日を「ながさき平和の日」に制定したという情報もあるが、一般的にこの日は「長崎原爆の日」と呼ばれることが多いのです。
また、この日8月9日には長崎市松山町にある平和公園において「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(長崎平和祈念式典)が行われ、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けています。
平和祈念式典では、原爆が炸裂した午前11時2分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が捧げられます。
その後、長崎市長による平和宣言、平和への誓いが行われるのです。
平和公園には、平和祈念像や平和の鐘、平和の泉、折鶴の塔、原爆落下中心碑、長崎原爆資料館、平和を象徴するモニュメントなどが配置されています。
平和祈念像は、被爆10周年の記念行事の一環として建設され、1955年(昭和30年)に完成しました。平和公園内の願いのゾーンに位置します。
長崎県南高来郡旧南有馬町(現:南島原市)生まれの彫刻家・北村西望(きたむら せいぼう、1884~1987年)の制作で、像は高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さ約30トン。
像のモデルは徳島県脇町出身で柔道・レスリングなどの指導者であり、陸軍大尉として従軍経験のある吉田廣一(よしだ ひろいち、1918~1967年)です。
何事も1番でなければ気が済まないという性格から「先頭」を意味する「せんとうはん」の愛称で親しまれています。
当時、世界で唯一、日本に原爆が投下されていました。
後々案外それは、様々な残酷な亡くなり方をした人々がいるということを知らないのではないかなと思われます。
また、生き残った人々も過酷な運命だったようです。
今は、原爆と言わず水爆と言われていたように思いますが、そんなものを人々の上空から投下するなんてもってのほかです。
非核化も日本で訴えています。
「Nomore Hiroshima.」と毎年訴えています。
他の国の人々にも、広島の二の舞にはなって欲しくないからです。
そう言った爆弾が、どんなに人の人生を不幸にしてしまうか。
皆さんには、今日は5分でもいいですから、そんな事を考えてみませんか?
それでは。
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