雑記
日頃の想いとひそかな考察
Date:2026-08-30 19:09 Editer:snow

今日は、富士山測候所記念日です。
1895年(明治28年)のこの日、富士山頂剣ヶ峯に野中測候所が開設しました。
この測候所は大日本気象学会の野中到(のなか いたる、1867~1955年)が私財を投じて建設したもので、木造6坪の観測所でした。
観測を始めたのは10月からで、1923年(大正12年)に開設された気象庁の富士山測候所の前身となりました。
富士山測候所は、自動観測技術が進歩したために1999年(平成11年)にレーダー観測が廃止され、2004年(平成16年)10月1日に最後の常駐職員が下山し、無人施設となりました。
現在、富士山特別地域気象観測所として気圧・気温・湿度などの観測を行っています。
また、富士山頂の代表的な構造物であった旧レーダードームなどは、山梨県富士吉田市にある富士山レーダードーム館に移設され、往時をしのばせる施設として見学することができます。

私は、まだ富士山に登ったことがありません。
だけど、登れたらなぁ、などとも思います。
富士山測候所がある時に、登れたら面白かったかもしれません。
山梨県に移設された富士山レーダードーム館に行く機会ができたらじっくりと観察したいと思います。
皆さんは、山頂にある測候所に興味はありますか?
それでは。
今日のひとこと:2026-08-30 -富士山測候所記念日-

今日は、富士山測候所記念日です。
1895年(明治28年)のこの日、富士山頂剣ヶ峯に野中測候所が開設しました。
この測候所は大日本気象学会の野中到(のなか いたる、1867~1955年)が私財を投じて建設したもので、木造6坪の観測所でした。
観測を始めたのは10月からで、1923年(大正12年)に開設された気象庁の富士山測候所の前身となりました。
富士山測候所は、自動観測技術が進歩したために1999年(平成11年)にレーダー観測が廃止され、2004年(平成16年)10月1日に最後の常駐職員が下山し、無人施設となりました。
現在、富士山特別地域気象観測所として気圧・気温・湿度などの観測を行っています。
また、富士山頂の代表的な構造物であった旧レーダードームなどは、山梨県富士吉田市にある富士山レーダードーム館に移設され、往時をしのばせる施設として見学することができます。

私は、まだ富士山に登ったことがありません。
だけど、登れたらなぁ、などとも思います。
富士山測候所がある時に、登れたら面白かったかもしれません。
山梨県に移設された富士山レーダードーム館に行く機会ができたらじっくりと観察したいと思います。
皆さんは、山頂にある測候所に興味はありますか?
それでは。
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Date:2026-08-30 18:59 Editer:snow

今日は、ケーブルカーの日です。
1918年(大正7年)のこの日、大阪電気軌道(現:近畿日本鉄道(近鉄))の子会社・生駒鋼索鉄道が、奈良県生駒山の鳥居前~宝山寺間で日本初のケーブルカー(現:近鉄生駒ケーブル)を開業させました。
ケーブルカーとは、山岳の急斜面などを、鋼索(ケーブル)が繋がれた車両を巻上機などで巻き上げて運転する鉄道です。
鋼索鉄道(こうさくてつどう)ともいいます。また、近年では山岳地帯での使用にとどまらず、車両に動力を積まないため、推進効率に優れているので都市や空港などでの輸送にも用いられることもあります。
一部ではロープウェイやゴンドラリフトなどの「普通索道」のことをケーブルカーということもありますが、日本では「鋼索鉄道」だけをケーブルカーと称することが一般的です。
日本のケーブルカーの多くは鉄道事業法による鉄道事業免許を受けていますが、一部のケーブルカーは遊園地の遊具扱いであったり、旅館内のエレベーター扱いの場合もあります。
ケーブルカーと言うと、近場では東京の高尾山の麓にあるケーブルカーを思い出します。
日本一の急勾配(31度)で、乗っていると前のめりになるほどです。
車両は2両編成で、上下の車両がワイヤーで連動して動く方式を取っています。
ケーブルカーの窓からの景色はなかなか良くて、四季折々の景色を眺めることができます。
清滝駅(山麓)から高尾山駅(山腹)まで約6分で登ることができます。
おかげさまで、山の中腹まで楽に登ることができるわけです。
ただ、楽なせいかハイヒールで山登りに来てしまう人がいると聞いたことがあります。
流石にそれは止めておいた方がいいですよ。(^-^;)/
皆さんは、ケーブルカーを使うことがありますか?
それでは。
今日のひとこと:2026-08-29 -ケーブルカーの日-

今日は、ケーブルカーの日です。
1918年(大正7年)のこの日、大阪電気軌道(現:近畿日本鉄道(近鉄))の子会社・生駒鋼索鉄道が、奈良県生駒山の鳥居前~宝山寺間で日本初のケーブルカー(現:近鉄生駒ケーブル)を開業させました。
ケーブルカーについて
ケーブルカーとは、山岳の急斜面などを、鋼索(ケーブル)が繋がれた車両を巻上機などで巻き上げて運転する鉄道です。
鋼索鉄道(こうさくてつどう)ともいいます。また、近年では山岳地帯での使用にとどまらず、車両に動力を積まないため、推進効率に優れているので都市や空港などでの輸送にも用いられることもあります。
一部ではロープウェイやゴンドラリフトなどの「普通索道」のことをケーブルカーということもありますが、日本では「鋼索鉄道」だけをケーブルカーと称することが一般的です。
日本のケーブルカーの多くは鉄道事業法による鉄道事業免許を受けていますが、一部のケーブルカーは遊園地の遊具扱いであったり、旅館内のエレベーター扱いの場合もあります。
ケーブルカーと言うと、近場では東京の高尾山の麓にあるケーブルカーを思い出します。
日本一の急勾配(31度)で、乗っていると前のめりになるほどです。
車両は2両編成で、上下の車両がワイヤーで連動して動く方式を取っています。
ケーブルカーの窓からの景色はなかなか良くて、四季折々の景色を眺めることができます。
清滝駅(山麓)から高尾山駅(山腹)まで約6分で登ることができます。
おかげさまで、山の中腹まで楽に登ることができるわけです。
ただ、楽なせいかハイヒールで山登りに来てしまう人がいると聞いたことがあります。
流石にそれは止めておいた方がいいですよ。(^-^;)/
皆さんは、ケーブルカーを使うことがありますか?
それでは。
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Date:2026-08-30 18:48 Editer:snow

今日は、民放テレビスタートの日です。
1953年(昭和28年)8月28日午前11時20分、日本テレビ(JOAX-TV)が民間放送として初のテレビ放送を正式に開始しました。
同年の1953年2月1日に日本で初めて日本放送協会(NHK)の東京テレビジョン(JOAK-TV)がテレビ放送を開始しました。記念すべき最初の日は、東京・内幸町にあったNHK放送会館から開局記念式典や、菊五郎劇団による舞台劇『道行初音旅』などの番組が放送されました。
続いてこの日に民間放送が開始しました。また、この日は日本初のテレビCMが放送された日でもあります。初のCMは「精工舎の時計が正午をお知らせします」という服部時計店(現:セイコーホールディングス株式会社)の時報でした。そのため、この日は「テレビCMの日」でもあります。
翌日の8月29日には、同じく日本テレビが後楽園球場で開催された巨人対阪神戦のプロ野球のテレビ中継を行いました。
テレビの放送開始直後は受像機(テレビ)の価格が高く、家庭にはなかなか普及しませんでした。
盛り場や駅、公園などに設置された街頭テレビに多くの人が集まり、プロレスやプロボクシングなどに熱狂しました。
その後、日本の経済成長とテレビの価格低下により、テレビ(白黒テレビ)は電気冷蔵庫と電気洗濯機とともに「三種の神器」として家庭に普及しました。
そして、放送番組もニュース・ドキュメンタリー・ドラマなど様々な番組が放送されるようになったのです。
当初は白黒のテレビ放送で、カラーのテレビ放送が開始されたのは1960年(昭和35年)9月10日のことでした。1960年代には、カラーテレビ・クーラー・自家用車が「新・三種の神器」と呼ばれ、「Color TV」「Cooler」「Car」の頭文字を取って「3C(さんシー)」とも言いました。
私も戦後生まれの子供として、よくテレビっ子などと呼ばれておりました。
ナイター中継などに、子供番組を潰されると、よく恨んだものです。
また、子供と親でテレビのチャンネル争いをして、早く寝なさいと言われて負けると、ふて寝をしたものです。
午後7時から午後10時くらいまでは、親も子供もテレビを観る時間帯で、ゴールデンタイムなどとも呼ばれておりましたね。
でも、深夜のテレビは大人だけが許されるので、エッチな番組を観ていると子供たちは疑っていなかったのですよ。
だから、自分が大人になりたてかその途中で、深夜番組を観る機会を得られると、ドキドキしてテレビを観たものでした。
今の子供たちは、深夜も起きていたりして、そんなことはないと思いますが。
そんなテレビもインターネットの波に押されて視聴率が低迷しているそうですね。
でも、テレビにもう少し頑張って欲しい所です。
皆さんは、テレビが好きですか?
それでは。
今日のひとこと:2026-08-28 -民放テレビスタートの日-

今日は、民放テレビスタートの日です。
1953年(昭和28年)8月28日午前11時20分、日本テレビ(JOAX-TV)が民間放送として初のテレビ放送を正式に開始しました。
同年の1953年2月1日に日本で初めて日本放送協会(NHK)の東京テレビジョン(JOAK-TV)がテレビ放送を開始しました。記念すべき最初の日は、東京・内幸町にあったNHK放送会館から開局記念式典や、菊五郎劇団による舞台劇『道行初音旅』などの番組が放送されました。
続いてこの日に民間放送が開始しました。また、この日は日本初のテレビCMが放送された日でもあります。初のCMは「精工舎の時計が正午をお知らせします」という服部時計店(現:セイコーホールディングス株式会社)の時報でした。そのため、この日は「テレビCMの日」でもあります。
翌日の8月29日には、同じく日本テレビが後楽園球場で開催された巨人対阪神戦のプロ野球のテレビ中継を行いました。
テレビの放送開始直後は受像機(テレビ)の価格が高く、家庭にはなかなか普及しませんでした。
盛り場や駅、公園などに設置された街頭テレビに多くの人が集まり、プロレスやプロボクシングなどに熱狂しました。
その後、日本の経済成長とテレビの価格低下により、テレビ(白黒テレビ)は電気冷蔵庫と電気洗濯機とともに「三種の神器」として家庭に普及しました。
そして、放送番組もニュース・ドキュメンタリー・ドラマなど様々な番組が放送されるようになったのです。
当初は白黒のテレビ放送で、カラーのテレビ放送が開始されたのは1960年(昭和35年)9月10日のことでした。1960年代には、カラーテレビ・クーラー・自家用車が「新・三種の神器」と呼ばれ、「Color TV」「Cooler」「Car」の頭文字を取って「3C(さんシー)」とも言いました。
私も戦後生まれの子供として、よくテレビっ子などと呼ばれておりました。
ナイター中継などに、子供番組を潰されると、よく恨んだものです。
また、子供と親でテレビのチャンネル争いをして、早く寝なさいと言われて負けると、ふて寝をしたものです。
午後7時から午後10時くらいまでは、親も子供もテレビを観る時間帯で、ゴールデンタイムなどとも呼ばれておりましたね。
でも、深夜のテレビは大人だけが許されるので、エッチな番組を観ていると子供たちは疑っていなかったのですよ。
だから、自分が大人になりたてかその途中で、深夜番組を観る機会を得られると、ドキドキしてテレビを観たものでした。
今の子供たちは、深夜も起きていたりして、そんなことはないと思いますが。
そんなテレビもインターネットの波に押されて視聴率が低迷しているそうですね。
でも、テレビにもう少し頑張って欲しい所です。
皆さんは、テレビが好きですか?
それでは。
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