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●雑記●

2024-03-03 02:17:58

今日のひとこと:2024-03-03 -雛祭り・上巳・桃の節句-



今日は、雛祭り・上巳・桃の節句です。

「雛祭り(ひなまつり)」は、女の子の健やかな成長を願う伝統行事。3月3日は「上巳(じょうし)」または「桃の節句」と呼ばれます。

一般的には「桃の節句」と呼ばれ、女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、桃の花・菱餅・雛あられを供えて祀り、白酒や寿司などの飲食を楽しむ節句祭りが行われます。

雛祭りは江戸時代までは和暦(旧暦)の3月の節句(上巳、桃の節句)である3月3日(現在の4月頃)に行われていました。
明治の改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なうことが一般的になりました。東北・北陸など一部の地域では、旧暦3月3日または新暦4月3日に祝う文化が残っています。

3月3日の「上巳(じょうし)」は「じょうみ」とも読み、1月7日の「人日(じんじつ)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(しちせき)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」とともに「五節句」の一つでもあります。
上旬の巳(み)の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われています。
旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であるため「桃の節句」と呼ばれています。

上巳(桃の節句)の日には、紙製の小さな人形に穢れ(けがれ)を移して川や海に流して、災厄を祓う(はらう)祭礼を行っていました。この「流し雛」の風習は平安時代からあり、現在でも日本各地にその風習が残っています。その人形が次第に精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展していきました。

雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には女の子の「人形遊び」と「節句の儀式」が結び付けられ、庶民の行事となりました。

元々は、5月5日の「端午の節句」とともに男女の区別なく行われていたが、江戸時代ごろから、豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲(しょうぶ)の節句とも言われることから、尚武(しょうぶ:武道・武勇を重んじること)にかけて男の子の節句とされるようになりました。


私の子供の頃もなかなか豪勢な雛飾りをしてもらっていました。
7、8段くらいはあるものだったかな。
端正なお顔の雛人形は可愛らしかったけれど、いかにも高そうで壊しそうなことからあまり触れなかった覚えがあります。
それでも、飾り始めはワクワクしていましたが、飾り納めでしまうときは名残惜しかったものでした。
現在は、諸事情で飾っておりませんが、懐かしい思い出として覚えております。

それでは。
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